
初めまして。エステティックガーデン赤羽、代表の相賀かずみです。
1990年10月24日にオープンしたエステティックガーデン赤羽
私は2代目になります。
オープンはフェイシャル専門のパイオニア「ラヴィアンローズ」の経営でした。
現在はプライベートサロンとしてマンションで営業しています。
📚 著書情報
磯崎明美さんの著書
『さあ、あなたも素肌美人: 良いエステを知って、もっと体の内外からキレイになろう』
出版社:文芸社「素肌美」や「エステ教育」に強い信念を持った美容業界の黎明期を支えた存在。
私は、エステティック業界の草分け的存在・磯崎明美先生のサロンで修行を積みました。
「素肌を育てる」という考え方に深く感銘を受け、今でもその精神は私の施術の土台となっています。

支店が当時はいくつかあり、私は本店の店長から部長になりエステティシャンとしてお店に立つことは少なかったのです。赤羽店は経営不振のため閉店と決定が・・・
最初は縁もゆかりもない「赤羽」という場所に不安しかないスタートでしたが、引継ぐ形で独立となりました。
なぜそんな大きな決心が出来たのか・・・
経営不振の決断が下された場所・・・

でも0からのスタートではないから、きっと恵まれているはず。信じた道を突き進めばいい
私は幸運の女神の前髪が見えしっかり掴んだのです。

私自身、10代の頃から肌トラブルに悩まされてきました
中学生までは何の悩みもなく、どちらかといえば友人からうらやましがられるくらい、色白でキメの細かい肌でした。
それが高校入学とともに、ニキビがひどくなってきました。
まず最初はあごの右側に500円玉大の赤い斑点ができ、一晩寝ると翌朝その斑点の中いっぱい隙間なく細かいニキビができるのです。
場所を変え、それは額以外の顔中に広がっていきました。

今思えば皮膚疾患の「とびひ」や「毛孔性苔癬」だったのかもしれません
有名皮膚科での治療と、深まる悩み
見かねた母が有名な皮膚科に連れて行ってくれました。
病院でも「何だ…これはひどいな」と先生に言われ、写真まで撮られました。
毎回、人であふれ外で2時間以上待ちましたが、
「このニキビがなくなるのであれば!」という思いで、一生懸命に通い、先生の言うことを守りました。
決して跡が残らないと言われ、ニキビを潰す治療も痛みをこらえて毎回受けました。

今なら痛みのある医療行為には表皮麻酔なども施されます。
クレーター、乾燥、そして新たな悩みへ
数年後、ニキビ跡はひどいクレーターに…。
さらに、油分を抑えるように言われて使い続けたローションにより、ひどい乾燥肌となりました。
いつもかゆみがあり、ニキビの数こそは減ったものの、大きなニキビができるように。
それが20代。
そしてそのニキビは治って、やがてシミへと変わっていきました。
それが20代後半のことです。
高額な化粧品や美顔器にも頼った日々
良いと言われた化粧品は迷わず購入しました。
2万円のローション、5万円のクリーム、7万円の美容液…。
そして30万円以上もする美顔器もローンを組んで買ったりしました。

きれいな肌になりたくて働いて切り詰めていました
今だから分かる「原因」と「引き算のケア」
今ならわかるのです。
学生時代のニキビは皮脂過剰が原因ではなく、ホルモンバランスの乱れと皮膚疾患によるものでした。
現に額には全くニキビはなかったのです。
そして、ニキビの芯は押し潰してはいけないことも…。
皮脂を抑えるローションを使い続けたことで、皮脂を作る力が弱くなり、乾燥肌に。
皮脂は大切な保護力を持っているのに、それが不足し、
保護力が弱まったことで化粧品の刺激をダイレクトに受け、メラニンが活性化され、シミになったのです。
「汚れを落として保湿する」だけのケアの大切さ
肌トラブルに見舞われた時、大切なのは「原因」の特定です。
そして「原因」を排除していくこと…。
何かをプラスするのではなく、マイナスしていくのです。
シミができてずっと美白用化粧品を使っているのによくならない、そんな方は多いと思います。
でも、決してその化粧品に美白作用がないわけではありません。
美白しているにもかかわらず、シミの「原因」を取り除いていないために、
メラニンが活性し続けているのです。
また、市販の化粧品にはシミの原因になるものも同時に含まれています。
シミの原因の80%は紫外線ではなく、化粧品と言われています。
そして、過剰な成分や栄養は肌には必要なく、
それがトラブルの原因であることがほとんどなのです。
「汚れを落として保湿する」
この簡単なお手入れが、正しくできていない…。
私自身が、身をもって経験し、実感したことです。

ガーデンコスメに出会ったときは「こんな安物の化粧品…」と心の中で思いました。基礎は最低でも8点、それも高価なものを使っていたので、基礎3点でたまにゴマージュ…それでも使っていた化粧品の1点にも満たない値段でした
美容部員になんてなれないと思っていた過去の私
きれいな美容部員さんは私の憧れでした。
でも、こんな汚い私がなれる訳がないと思っていました。
ましてやエステティシャンなんて…。
参考までに学生時代の写真を探したのですが、1枚もありませんでした。
確かにカメラからは逃げていました。
卒業アルバムの顔写真は、マジックで黒く塗りつぶしてありました。
本当に辛かったんだな…って、自分のことながら思います。
マスクをしてニキビを隠し、
やがて厚く塗ったファンデーションでシミを隠す日々。
辛い経験があるからこそ、寄り添える

そんな辛い日々を過ごしてきた私だからこそ、
お客様の心に寄り添えると思っております。
ごあいさつにかえて
エステティックガーデン赤羽
相賀かずみ